頭山満言志録
頭山満[著]
西郷隆盛の「死生の哲理」を読み解く頭山満の軽快で深い言葉
民権論で起ち、東洋を侮る西欧列強とそれに追従する日本人への批判勢力のシンボルとして、かつて広く慕われた頭山満。その言葉を記した往年の談話集数篇よりエッセンスを再構成した言志録。GHQによる「侵略戦争推進団体玄洋社」の定義に従い闇へと葬られてより半世紀以上を経た今、頭山自身の言葉で頭山世界を玩味する入門書。
品切――本書と『頭山満直話集』との合冊版『頭山満思想集成』刊行中(クリックで移動)
造本 四六判上製 320p
価格 定価6490円(本体5900円+税10%)
刊行 2024年2月
ISBN 978-4-910213-47-7 C0032
●目 次
Ⅰ 西郷隆盛論
大西郷遺訓を読む
――大西郷遺訓 頭山満講評
英雄を語る 西郷南洲
――大西郷と自分/征韓論の真相/故山における大西郷
Ⅱ 立雲談叢
自己を語る
――立雲という号/俺は若い/水泳ぎ/俺の子供の時分/青年期の東京生活/洋服着た写真/薪売り/箒売り/新聞の創刊/山/高場塾/親/俺の病気/覚へて居る程の事は
人物・逸話
――西行/中江兆民/金玉均/井上馨と鳥尾小弥太の人種改良議論/勝と岩倉/狂志士藤森天山/荒尾精には面白い話がある/隈の案内に犬
時評・訓話
――亜細亜の殖民地/支那の出兵/支那の留学生/英米と償金/朝鮮統治/釜入りなんぞは至極面白からう/立派で危険な建物/成り金よりも成り人ぢや/多勢は要らぬ、一人でいゝ/鼻くえ猿/主とする処が違ふ/金で割に合ふ位の命では安いものぢや/済まぬと思ふ丈けがいくらか済む/無人の境/人の一生/優さしきものあつて初めて敵なし/三つの幸福/死んだら/誠/神
附 頭山満先生(夢野久作著)
●著者紹介
頭山満(とうやま・みつる/1855-1944)
筑前玄洋社のシンボルとして著名な在野の国士。明治10年内戦の時代に、内政における民権、外政における国権を課題に活動を始め、アジア復興のために中国革命志士らと連携。在野の立場で国内政界に大きな影響力を長く持ち続けた。存命中はかなりの人気を博したが、敗戦後にその位置づけは一転した。主な略歴は以下の通り。
安政2年4月12日、筒井家第四子三男として福岡に誕生。命名乙次郎。後に八郎、さらに満と改名。号は立雲。明治4年、高場塾入門。明治6年、頭山家と養子縁組(19歳)。明治8年、矯志社に加盟。明治9年、大久保利通暗殺、政府転覆意図の嫌疑で収監されて拷問を受け、翌明治10年に放免。同年末、向浜塾開設。明治12年、向浜塾を閉じて向陽社を開設、国会開設請願のために筑前共愛同衆会を組織し、翌年愛国社国会期成同盟会と改称、東京牛込左内坂に移住、東北視察の旅。明治14年、向陽社を玄洋社と改称。明治17年、甲申の変失敗で亡命してきた朝鮮独立党首領金玉均と出会い援助。明治18年、結婚(頭山31歳、峰尾16歳)。このころ杉山茂丸と出会い、以後終生親友関係。明治20年、『福陵新報』創刊。明治22年、大隈外相の条約改正阻止のため閣僚と談判。明治25年、選挙干渉運動。明治30年ころからの孫文と宮崎滔天の接触を機に、頭山・犬養毅らと中国革命志士が連携。明治44年、辛亥革命勃発に際して犬養らと中国へ。大正2年、第二革命失敗により亡命してきた孫文に隣家を世話。大正4年、亡命中のインド独立運動志士ボースの保護に尽力。大正6年、袁世凱死去後の段祺瑞内閣成立に際して頭山らの日支国民協会が援段政策反対決議。大正10年、皇太子渡欧延期上奏文(翌月皇太子渡欧)。昭和4年、孫文移霊祭への招待を受けて犬養らと参加。昭和10年、頭山・杉山締交50年祝賀会。昭和19年10月5日逝去(90歳)。