日本的哲学という魔――戸坂潤京都学派批判論集

西田幾多郎、田辺元、和辻哲郎、三木清――誰が、どのように、どの程度、問題か

電子書籍(Kindle版)

西田の「無の論理」。田辺の「種の論理」。和辻の「間の倫理」。京都学派の生成と展開にあらわれた、近代日本への哲学導入における諸問題、その原風景。日本に世界的水準の哲学が育ち難いことの淵源をさぐる。戸坂潤の京都学派批判関連論考を網羅的に集成。


著者 戸坂潤
書名 日本的哲学という魔――戸坂潤京都学派批判論集
体裁・価格 A5判上製 224p 定価3080円(本体2800円+税10%)
刊行 2007年11月
ISBN 978-4-902854-37-4 C0010


初版(紙版)書影

●目 次

西田幾多郎批判

 京都学派の哲学
 「無の論理」は論理であるか――西田哲学の方法について
 ブルジョア哲学とその宗教化的本質

田辺元批判

 田辺哲学の成立
 「種の論理」

和辻哲郎批判

 日本倫理学と人間学――和辻倫理学の社会的意義を分析する
 和辻博士・風土・日本
 「やまと魂」学派の哲学

三木清批判

 三木清氏と三木哲学

京都学派の位置

 現代日本の思想界と思想家
 現代の哲学と宗教
 現代における「漱石文化」

附録 哲学の話

●著者紹介

戸坂潤(とさか・じゅん/1900-1945)
哲学者・批評家。1918年、第一高等学校理科入学、数学専攻。1921年、京都帝国大学文学部哲学科入学。京大在学中は数理哲学を専攻し、空間論、その他自然科学の基礎を研究。1924年、京都帝国大学卒業、大学院入学。1929年、大谷大学教授(哲学担当)となる。1930年、逃走中の共産党員を自宅に泊めて検挙されるが、約一週間で釈放。1931年、三木清のあとをうけて法政大学講師となる。1932年、唯物論研究会を創設。1934年、思想不穏の廉で検挙され、法政大学文学部免職、著述専業生活となる。1935年、編集責任者を務めた『唯物論全書』刊行開始。1937年、執筆禁止となる。この頃、社会大衆党入党。1938年、唯物論研究会を解散、学芸発行所を創設し、機関誌『唯物論研究』を『学芸』と改める。この年、唯物論研究会事件で検挙、杉並警察署に留置され、1940年、起訴されて東京拘置所に収容される(年末保釈出所し2年ぶりに帰宅)。1941年、第一審懲役四年の判決(控訴)。1942年、控訴審懲役三年の判決(上告)。1944年、大審院上告棄却。敗戦を見通して下獄延期願を提出し、9月1日に東京刑務所に下獄。1945年、5月1日、長野刑務所に移される。栄養失調と疥癬のため急性腎臓炎発病、8月9日、獄死。
主な出版著訳書。1924年、ヴィンデルバント『意志の自由』翻訳(大村書店)。1929年、『科学方法論』(岩波書店)。1930年、『イデオロギーの論理学』(鉄塔書院)。1931年、カント『自然哲学原理』翻訳・解説(岩波書店)。1932年、『イデオロギー概論』(理想社出版部)。1933年、『現代のための哲学』(大畑書店)。1933年、『技術の哲学』(時潮社)。1934年、『現代哲学講話』(『現代のための哲学』改版、白揚社)。1935年、『日本イデオロギー論』(白揚社)。1935年、『科学論』(三笠書房)。1936年、『思想としての文学』(三笠書房)。1936年、『思想と風俗』(三笠書房)。1936年、『現代日本の思想対立』(今日の問題社)。1936年、『現代唯物論講話』(白揚社)。1937年、『世界の一環としての日本』(白揚社)。1938年、『読書法』(三笠書房)。