図画教育論――我子への図画教育
岸田劉生[著]岸田麗子[絵]
電子版限定企画

図画教育と心の美化

劉生の図画教育理論と麗子六年間の絵画の歩み(絵画44点掲載)。電子版附録として岸田麗子の短い文章二篇(父の遺してくれたもの/ある女の講演草稿)を収録。――図画教育の根本目的は児童を画家にする事ではなく、児童の内に眠れる、「内なる美」を目覚まし、引いてその性格を美化し、その心に愛と善とを植えつけようとするにある。(岸田劉生) ※底本『図画教育論』(1925年、改造社刊行)

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著者 岸田劉生 岸田麗子
書名 図画教育論――我子への図画教育
刊行 2025年7月
分量 約7万字および絵画44点等

●目 次

序 文

第一章 図画教育私見

一 図画教育の目的
  イ、徳育としての図画教育
  ロ、現今の芸術教育に就て
二 図画教育の方法
  イ、図画教育の真意義
  ロ、実際の方法――四つの方法
  ハ、自由画法
  ニ、見学法 附、手法教授
  ホ、装飾法
三 児童作品の審査標準に就て
四 描画用材の批評

第二章 我子への図画教育――この一篇を麗子に贈る――

附録 慶應義塾幼稚舎における図画教育

電子版附録 岸田麗子
 父の遺してくれたもの
 ある女の講演草稿

●著者紹介

岸田劉生(きしだ・りゅうせい/1891-1929)
岸田吟香の四男。東京高等師範学校附属中学校を三年で中途退学し絵画の独学を始める。白馬会葵橋洋画研究所に入り、黒田清輝に師事。20歳のころに柳宗悦や武者小路実篤ら白樺同人およびバーナード・リーチとの交際を始める。高村光太郎らとフュウザン会を結成、のち草土社に参加。当初ポスト印象派の影響を受けた作風であったが写実的な作風へと移り、さらにその後、初期肉筆浮世絵や宋元画に傾倒した作風に転じ、日本画も手掛けた。著名な洋画作品に、一連の「麗子像」、「切通之写生(道路と土手と塀)」などがある。著書には『初期肉筆浮世絵』、『図画教育論』、『演劇美論』などがあり、近代日本の画家としては異例の著述家で、全10巻の全集版がある。

岸田麗子(きしだ・れいこ/1914-1962)
劉生の長女。15歳のとき父を喪う。「新しき村」演劇部に参加。絵画制作、文筆活動を行なう。著書『父 岸田劉生』。