宮崎滔天批評文集
明治侠客国際派
東亜の解放、東亜の連帯という夢と行動。戯文という滔天思想の真面目。滔天の評伝著者である渡辺京二が注目した「文章家滔天」の真骨頂を示す批評文を精選。『三十三年之夢』以後の晩年にいたるまでの文章を多く収録。書肆心水既刊『滔天文選――近代日本の狂と夢』の電子版[改題]※『滔天文選』収録の解説文は非収録。
「滔天宮崎寅蔵はふつう孫文と親交のある中国革命援助者として知られる。しかし彼には並々ならぬ文才があって、彼が書き遺した戯文は、明治・大正期のわが国の文学において、ひとつの椅子を要求してしかるべきものだと私はずっと信じて来た。」「滔天に文章の才があったことは明白である。達意にして奇想に富み、歯切れよくしかも賑やかである。たのしんで読むに足る文章であるが、戯文はときに真摯な思考の道具ともなりうる。たのしみつつ、ときには考えを凝らして読んでいただくならば、文章家滔天は泉下にほほえむであろう。」渡辺京二評(『滔天文選』所収解説より)
電子書籍(Kindle版)販売サイト
著者 宮崎滔天
書名 宮崎滔天批評文集
刊行 2025年11月
分量 約26万字
●目 次
1 狂言篇
独酌放言
乾坤鎔廬日抄
2 紀行・随想篇
銷夏漫録
炬燵の中より
よもや日記
3 人物批評篇
肥後人物論評
亡友録(抄)
付 録
亡夫滔天回顧録(宮崎つち子)
家憲十則(滔天)
宮崎滔天略年譜
●著者紹介
宮崎滔天(みやざき・とうてん/1870-1922)本名寅蔵。熊本の郷士の家系に生まれる。西南戦争で戦死した英雄八郎を長兄にもつ。10代は、徳富蘇峰の大江義塾、東京専門学校(早稲田大前身)英語学科、長崎の加伯利英和学校などで学び、キリスト教に入信するが、ほどなく棄教。1891(明治24)年、21歳のときに兄の彌蔵の説く中国革命主義に共鳴し、以後生涯の大方針となる。朝鮮改革主義者の金玉均亡命中にはその協力者となる。中国革命への布石として大陸やタイなどに渡ること数度。1897(明治30)年に孫文と初会見。以後日本における孫文の主要な協力者となり中国革命を援助。難航する革命運動における自己の無力感を抱え、一時浪花節語りを生業とし、桃中軒牛右衛門を名乗る。1911(明治44)年の辛亥革命成就後も、孫文・黄興ら革命家との協力関係は続き、滔天の死に際しては上海で孫文ら主催の追悼会が開催され、「日本の大改革家」「中国革命に絶大の功績」との賛辞を受ける。主著『三十三年之夢』『狂人譚』『明治国姓爺』など(後二著は書肆心水刊行『宮崎滔天 アジア革命奇譚集』に収録)。その他著作多数。『三十三年之夢』は刊行間もなく中国語に翻訳され、革命の先達孫文と日本の援助者滔天の存在を中国の有志に知らしめ、革命を志す中国人留学生を数多く日本の地に迎える契機となった。