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文語訳 ツァラトゥストラかく語りき(新装版)

我こそは神を無みする者ツァラトゥストラなれ

『ツァラトゥストラ』をはじめて日本語に翻訳し、その後、日本初のニーチェ全集を個人完訳で果たした生田長江。 ニーチェ諸著作のうち『ツァラトゥストラ』だけは文語調の訳文が相応しいという、生田長江あえての選択。 文語調に趣味を覚える好事家のための希書。 底本三訂最終版。

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著者 ニイチェ (Friedrich Wilhelm Nietzsche)
訳者 生田長江
書名 文語訳 ツァラトゥストラかく語りき
原書 Also sprach Zarathustra
体裁・価格 A5判上製 480p 定価6050円(本体5500円+税10%)
刊行 2014年9月(初版2008年11月)
ISBN 978-4-902854-52-7 C0010


●訳者紹介

生田長江(いくた・ちょうこう)

生田長江、本名弘治。1882年生まれ、1936年歿。評論家、翻訳家。東京帝国大学哲学科卒。日本初の『ツァラトゥストラ』全訳を1911年に森鴎外の序文を付して刊行。個人完訳で日本初のニーチェ全集10巻(新潮社、1916‐29年)を刊行し、のち新訳決定版12巻(日本評論社、1935‐36年)を刊行。著作に評論集『超近代派宣言』ほか多数。訳書にトルストイ『アンナ・カレニナ』ホメロス『オデュッセイア』ダンテ『神曲』など。

●生田長江と『ツァラトゥストラ』の翻訳について

生田は『ツァラトゥストラ』の最初の翻訳を二度改訳しましたが、一度目の改訳版の序文においてこのように述べています。――「『ツァラトゥストラ』の私の最初の訳本は、1909年の初夏に起稿され、凡そ二十箇月近くに亘る文字通り専心の努力を経て、1910年の暮に脱稿されたのであった。それから十年を過ぎた今年の三、四月頃になって、私は別に誰からも強いられない、のみならず、勧められさえもしない『ツァラトゥストラ』の改訳を、寂しい心持の中にひとりでこつこつとやり出した。そして殆んど以前のより以上のとさえ云いたいほどの苦心に苦心を重ねて来て、丁度今、この改訳本の最後の頁を書き上げたところである。」

そしてその序文の結びに、「……それを訳出する上に口語なる現代語の一体が、ただに上乗の物でないのみならず、むしろ甚だ不便なるものであるということだけは、私の敢て断言するに躊躇しないところのものである。」と記されているように、生田長江はこの『ツァラトゥストラ』という作品の翻訳においては、文語調を選択的に採用したのでした。

生田個人完訳のニーチェ全集は、いまでは歴史的存在としての意味しか持ち得ないものとなったでしょうが、生田訳『ツァラトゥストラ』だけは例外的に、その文語調という訳文のスタイルの故に、いまなお、否、今後長く特異な意義を持ち続ける文化遺産であると言えましょう。

「かく語りき」の文言がいかにも相応しいこの『文語訳ツァラトゥストラ』。作中の言葉である「血と箴言とをもて書くところの人は、読まるるをねがわずして諳(そらん)ぜらるるをねがう」という思想によくマッチする文語調のユニークな訳業です。

なお、『ツァラトゥストラ』翻訳者の一人手塚富雄(中公版訳者)は、生田長江について次のような言葉を残しています。

「生田長江は実存的に最も深くニーチェに親しんだのではないかと思う。ニーチェについては論述より翻訳に力を注いだようで、それは特異な張りのある文体だった。長江は、どう控え目に見てもニーチェのいわゆる高人に列する人である。」

●初版カバージャケットと新装版カバージャケット 赤:初版 青:新装版

※ 初版と新装版は若干の誤植訂正以外に本文の違いはありません。