日清戦勝賠償異論
失われた興亜の実践理念
●日本の近代化がそこから道を誤った、興亜主義と侵略主義の分岐点
東アジア復興のためには日清貿易を基礎とすべきと考えて、東亜同文書院の前身である日清貿易研究所を経営した軍人荒尾精。 日清戦争の勝ちに乗じて過大な賠償を求めることは東亜の安定に甚大な悪影響を及ぼすと警告した諸論文を集成。
現代の状況に荒尾が持つ意味を説く詳細な解説を収録。(村上武)
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著者
荒尾 精
解説
村上 武
(たける)
書名
日清戦勝賠償異論
失われた興亜の実践理念
体裁・価格
A5判上製 288p 定価6930円(本体6300円+税10%)
刊行
2015年4月
ISBN
978-4-906917-40-2 C0021
●目 次
解説 荒尾精の略歴と著作 村上武
媾和締盟に対する鄙見
対清意見
対清弁妄 対清意見に関する疑問に答う
対清通商意見 第一
附録 対清貿易拡張案
資料 日清講和条約
資料 原本写真
●著者紹介
荒尾精(あらお・せい)
1859年生、1896年歿。名古屋出身の陸軍軍人。号は東方斎。1882年、陸軍士官学校卒業。1883年、歩兵第13聯隊附を命ぜられ熊本に赴任。1885年、参謀本部支那部附に転任。1886年、清国の実情調査のため渡清。岸田吟香の援助を受けて漢口楽善堂を運営し大陸調査活動の拠点とする。1889年、帰国し参謀本部へ「復命書」を提出。1890年、上海に日清貿易研究所(東亜同文書院前身)を設立し日清貿易の実務担当者を育成。1893年、日清商品陳列所を設立し貿易事業の実施を志すが、日清戦争開始(1894年)により帰国。1896年、新領土台湾と南清諸港巡視の旅に出るが台北でペストに罹り客死。
●本書について(書肆心水)
本書は、東亜同文書院の前身である日清貿易研究所を経営した軍人荒尾精(1859年生、1896年歿)の批評文集である。日清戦争の賠償方針(償金額、領土割譲等)をめぐる政府と世論の意見に対する荒尾精の異論を収録した。荒尾精は東アジア復興のためには東アジア諸国の安定的で自律的な関係を創出すべきであると考え、それを具体化するために日清貿易の振興を企図し、上海に日清貿易研究所を設立した(1890年)。ついで日清貿易研究所の成果を継承した日清商品陳列所を設立して(1893年)貿易事業の実施を志したが、日清戦争開始(1894年)により中断のやむなきに至った。
本書収録の諸篇は日清戦争中から戦後にかけて書かれたもので、全篇を通じ、
勝ちに乗じて過大な賠償を求めることは、東アジアの安定に甚大な悪影響を及ぼし、結局は日本の国益も中朝両国の国益も損ねるものである
、という判断が貫かれている。なされる問題提起はみな荒尾が中国において見聞し学んだ知見に基づいて具体的になされており説得力がある。荒尾の問題提起が世にいれられなかったことは、後世から見れば、近代日本が興亜主義の理念と実践を喪失して覇権主義へと転じていくことを意味しているとも言えるであろう。
『対清意見』は1894(明治27)年10月に刊行された。『対清弁妄』は『対清意見』に対して寄せられた批評に対して返答を試みたもので、1895(明治28)年3月に刊行された。『対清通商意見 第一』は1895(明治28)年9月に刊行されたもので、日清戦争講和条約の第6条第4に対する意見である。「媾和締盟に対する鄙見」は草稿の写しであり、本書解説者村上武氏はこの文書について、「恐らく『対清弁妄』の出版に先立って、政府要路、あるいは明治陛下にまで奉呈された建言書を写して根津に送ったものと思われる」と述べている。「媾和締盟に対する鄙見」には簡潔にわかりやすく要点が示されているので、本書では荒尾のテキスト群の最初に収録した。「明治26年秋」と文末に附記された「対清貿易拡張案」は、荒尾精の貿易事業についての考えと実践を知るに有益な文書であるので附録した。また資料として日清戦争の講和条約も附録した。