夢野久作の能世界 批評・戯文・小説 ドグラ・マグラ流、能入門 ―― 夢野久作、能楽関係秀作選 小説家・夢野久作が……すなわち喜多流謡曲教授・杉山萠圓が……またの名、能楽博士・ベシミ鈍太郎が語る、ちょっと怪しげな魅力あふれる能のいい話。 ▼私の師匠である喜多六平太氏〔十四世〕は、筆者にコンナ話をした事がある。「熊(漢音ゆう)の一種で能(のう)という獣が居るそうです。この獣はソックリ熊の形でありながら、四ツの手足が無い。だから能の字の下に列火が無いのであるが、その癖に物の真似がトテモ上手で世界中に有りとあらゆるものの真似をすると云うのです。『能』というものは人間が形にあらわしてする物真似の無調法さや見っともなさを出来るだけ避けて、その心のキレイさと品よさで、すべてを現わそうとするもので、その能という獣の行き方と、おんなじ行き方だというので能と名付けたと云います。成る程、考えてみると手や足で動作の真似をしたり、眼や口の表情で感情をあらわしたり、背景で場面を見せたりするのは、技巧としては末の末ですからね」 |
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著者 夢野久作
書名 夢野久作の能世界 批評・戯文・小説
体裁・価格 A5判上製 256p 定価3630円(本体3300円+税10%)
刊行日 2009年9月30日
ISBN 978-4-902854-63-3 C0095
著者紹介
夢野久作 (ゆめの・きゅうさく)
1889(明治22)年、0歳。杉山茂丸とホトリ(大島家長女)の長男として福岡に誕生。
1891(明治24)年、2歳。実母ホトリが杉山家より離縁される。父茂丸、戸田幾茂と再婚。
1892(明治25)年、3歳。喜多流梅津只圓(元黒田藩能楽師範)の門で能の手解きを受ける。
1904(明治37)年、15歳。父茂丸から将来の志望を問われ、文学、美術家と答えて叱られ、農業といって賛成を得る。
1911(明治44)年、22歳。慶應義塾大学文学部入学。
1913(大正2)年、24歳。大学中退。香椎の杉山農園を確立。この頃喜多六平太と出会う。
1915(大正4)年、26歳。喜多流に正式に入門。剃髪し禅僧として出家。幼名直樹を泰道と改め、法号を萠圓とす。
1917(大正6)年、28歳。僧名泰道のまま還俗。杉山農園に戻る。
1918(大正7)年、29歳。鎌田クラと結婚。喜多流謡曲教授となる。翌年長男龍丸誕生。
1920(大正9)年、31歳。九州日報に記者として入社。
1924(大正13)年、35歳。休養のため九州日報退社。
1927(昭和2)年、38歳。本格的に作家生活に入る。
1930(昭和5)年、41歳。福岡市黒門三等郵便局長となる。
1935(昭和10)年、46歳。『ドグラ・マグラ』出版。父茂丸脳溢血にて歿す。
1936(昭和11)年、47歳。脳溢血にて歿す。
目 次
能とは何か
能とは何か
武術と能楽
能の女の美
日本人と能楽
「生活」+「戦争」+「競技」÷0=能
直木三十五氏へ
「能楽」と歌舞伎の行方
喜多流とともに
六平太と万三郎
船なしの鬼界島
非現実な安宅と現実的な石橋
喜多流院外団
実さんの精神分析
名人とは……
能と人びと
謡曲黒白談
田舎謡と東京謡
遠慮なく笑って下さい――能を見る学生諸君へ
道成寺不見記
能界万華鏡
能楽を愛すればこそ
天狗鉢合わせ――池内さんと私と
小 説
あやかしの鼓