頭山満思想集成 増補新版
精選直話集――頭山思想の真髄を読む
書肆心水既刊、『頭山満言志録』、『頭山満直話集』の合冊版。伝説的存在として脚色されがちな頭山満の真の姿と思想を伝える良質な直話のみを精選。西郷隆盛の遺訓を講評しつつ自己の思想を語る「大西郷遺訓を読む」と、自己の一代を回顧しつつ同時代の人物や社会を批評する「直話集」で構成。増補新版で「写真集」を附録(20ページ)。
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著者 頭山 満
書名 頭山満思想集成 増補新版
体裁・価格 A5判上製 400p 定価7040円(本体6400円+税10%)
刊 行 2016年12月(初版2011年12月)
ISBN 978-4-906917-62-4 C0095
●著者紹介
頭山 満 (とうやま・みつる)
筑前玄洋社のシンボルとして著名な在野の国士。明治10年内戦の時代に、内政における民権、外政における国権を課題に活動を始め、アジア復興のために中国革命志士らと連携。在野の立場で国内政界に大きな影響力を長く持ち続けた。存命中はかなりの人気を博したが、敗戦後にその位置づけは一転した。主な略歴は以下の通り。
安政2年4月12日、筒井家第四子三男として福岡に誕生。命名乙次郎。後に八郎、さらに満と改名。号は立雲。明治4年、高場塾入門。明治6年、頭山家と養子縁組(19歳)。明治8年、矯志社に加盟。明治9年、大久保利通暗殺、政府転覆意図の嫌疑で収監されて拷問を受け、翌明治10年に放免。同年末、向浜塾開設。明治12年、向浜塾を閉じて向陽社を開設、国会開設請願のために筑前共愛同衆会を組織し、翌年愛国社国会期成同盟会と改称、東京牛込左内坂に移住、東北視察の旅。明治14年、向陽社を玄洋社と改称。明治17年、甲申の変失敗で亡命してきた朝鮮独立党首領金玉均と出会い援助。明治18年、結婚(頭山31歳、峰尾16歳)。このころ杉山茂丸と出会い、以後終生親友関係。明治20年、『福陵新報』創刊。明治22年、大隈外相の条約改正阻止のため閣僚と談判。明治25年、選挙干渉運動。明治30年ころからの孫文と宮崎滔天の接触を機に、頭山・犬養毅らと中国革命志士が連携。明治44年、辛亥革命勃発に際して犬養らと中国へ。大正2年、第二革命失敗により亡命してきた孫文に隣家を世話。大正4年、亡命中のインド独立運動志士ボースの保護に尽力。大正6年、袁世凱死去後の段祺瑞内閣成立に際して頭山らの日支国民協会が援段政策反対決議。大正10年、皇太子渡欧延期上奏文(翌月皇太子渡欧)。昭和4年、孫文移霊祭への招待を受けて犬養らと参加。昭和10年、頭山・杉山締交50年祝賀会。昭和19年10月5日逝去(90歳)。
●本書について
『頭山満思想集成』は書肆心水既刊『頭山満言志録』と『頭山満直話集』の収録内容を合冊化したものです。合冊化にあたり判型を46判からA5判に改変し、若干の補訂を施して新たな版としました(2011年版)。その後さらに「写真集」を附録して増補新版としたのが本書です(2016年版)。
*元本 『頭山満言志録』のページへ
*元本 『頭山満直話集』のページへ
●目 次
●大西郷遺訓を読む
大西郷遺訓
頭山満講評
●直話集 I
自己を語る/人物評/時評・訓話
●直話集 II
一代回顧談
附録 頭山満先生 夢野久作著
附録 頭山満写真集(20ページ)
直話集部分 収録話題見出し
◎直話集 T 収録分
自己を語る
立雲という号
俺は若い
水泳ぎ
俺の子供の時分
青年期の東京生活
洋服着た写真
薪売り
箒売り
新聞の創刊
山
高場塾
親
俺の病気
覚えて居る程の事は
人 物 評
大西郷と自分
征韓論の真相
故山における大西郷
西 行
中江兆民
金玉均
井上馨と鳥尾小弥太の人種改良議論
勝と岩倉
狂志士藤森天山
荒尾精には面白い話がある
隈の案内に犬
時評・訓話
アジアの殖民地
支那の出兵
支那の留学生
英米と償金
朝鮮統治
釜入りなんぞは至極面白かろう
立派で危険な建物
成り金よりも成り人じゃ
多勢は要らぬ、一人でいい
鼻くえ猿
主とする処が違う
金で割に合う位の命では安いものじゃ
済まぬと思うだけがいくらか済む
無人の境
人の一生
優しきものあって初めて敵なし
三つの幸福
死んだら
誠
神
◎直話集 II 収録分
一代回顧談
これが自分の身の上話の初めてじゃ
本を読む事は好きであった
独りで淋しくない
少時わしの読書法
おれは泣かぬ児であった
俺の碁将棋は真剣だと強くなる
生まれながらのだだくさ者
仙人修業の三年
平野国臣と近藤勇
平岡は行儀がよかった
江藤新平の挙兵
正直者、前原一誠
わしの獄中生活
入獄中、母の訃音
南洲の師友、川口雪蓬
二度目の鹿児島入り
河野主一郎は起たなかった
大珍物の洋傘
気位は何時も大名じゃ
大久保暗殺の報
土佐の民権婆さん
東北無銭漫遊
仙台に三日
弘前で木戸御免
黒石町で演説で飯が食えた
端座、漢学先生を凹ます
腹と脚は誰にもまけんじゃった
越前へ無銭旅行
土佐で政談演説
福岡でも演説が流行
板垣は純忠の士
福陵新報時代
玄洋社の青年訓練
河豚は食わさぬ
薪買わんか
来島が大野仁平を撲る
会心の友、荒尾精
荒尾内閣を見たかった
偉人は五百年に一度降る
後藤象二郎の太肚
条件付きの金は借りぬ
天下人無きを歎ずるなかれ
条約改正騒ぎ前後
小身の豪傑、小村寿太郎
小村の六升酒
小男の小村、暴魯を挫く
傑僧南天棒
鹿鳴館の馬鹿踊り連を糞溜めへ
伊藤の智は横へ廻った
何んでもやるぞ
陸実は硬直
三浦の碁は腕力で行く
風鈴均一碁で三浦の大敗
鳥尾訪問の失敗
鳥尾、井上を罵る
「お前は許さん」と井上へ
大晦日に廻る金
浜の家無銭寄留
副島の色男気取り
佐々の「禿げ」
これが誠の道じゃろう
安場の三ば
「今日天下の急務は頭山が金を作る事です」
わしを漢の高祖に見立てた
副島の胆伸ばし
岡田の女将を驚かす
年中正月、常二十才
頭山とは如何なる仁か?
お妻の髪を切った話か?
政府の腰抜けを追い分けで諷ずる
鼻かけの英雄
従道、大西郷に叱らる
大西郷、橋本左内に叱らる
大西郷の師友、伊知地正治
大西郷の敬服した久坂玄瑞
木戸、大久保を罵る
木戸、黒田を投げ倒す
南洲の無頓着
高田が斬られた時の事か?
番町屋敷の化物
頭山が吏党になった
「頭山を斬る」という
小身非力の豪傑、大井憲太郎
大井の臍
星も大井には閉口
星がわしを議員に担ごうとした
星を助けた
剣難もぐり
地税軽減問題
松方総理を叱る
伊藤は能く人才を用いた
品川へ借金の相談
品川は善人じゃった
丸裸で高利貸撃退
国民協会入党拒絶
大津事件の時
硬骨漢、児島惟謙
日露戦争、桂太郎
シルクハット問題
聴かなければ伊藤を斬る
南洋視察費を飲む
金の貸しっぷり、金子元二郎
炭坑を売った七十万円の行方か?
借金証書は正気歌の文句
支那へ入院したようじゃ
美和も気の強い奴じゃ
仏人リシャール来訪
大隈との会見
室蘭埋め立て願い
頭山の嘘は公然
青木周蔵は変わり者
権兵衛大臣
孫文をどうする
頼って出る化物
インド亡命客ボース
◎内田良平氏談
深夜の電話
インド人の神隠し
明けっ放しの答弁
わしの顔は潰れても……
首にして渡そうか!(以上内田良平談)
◎ボース氏の談を綜合して
頭山翁を訪問す
日本退去の命令
インド人消えて無くなる
新宿の中村屋へ
病気が取り持った奇縁
日本政府の保護下に置かる
上総一の宮の一ト夏
日印結婚
忠実なりし妻よ!
日本へ渡るまで
虎口を脱れる
香港の災厄
帰化日本人として(以上ボース談)
三浦と大隈
天下の山県になり切れんのが惜しい
山県は首でも取られると思うたのじゃろう
安達謙蔵、白で碁を打て
清浦はおとなしい
総理級の人々
護憲三派運動と純正普選の時
わしの握手の始め、熱海に三浦を見舞う
立雲号の由来
宗演と禅問答
東宮御外遊時、二荒伯の誓文
杉浦は五重の塔
杉浦は真君子
俺は田中と同じ年に死ぬと言われた
一遍で小便が出し切るか?
遷宮式に二日断食
何よりも放蕩を慎む事じゃ
御慶事式場でネクタイの借り物
震災の時
霊南坂の家が焼けた
議員立候補の推薦状
誕辰祝いが大袈裟でいささか迷惑
水戸家の昇爵時、宮相と会見
出雲大社へお詣り
大本教と立雲翁
板垣伯の銅像
喜楽の女将、井上を凹ます
女は面倒見てやる事じゃ
犬養総理は貫録たっぷり
議会のだらしなさ
神に仕える者の仕合わせ
米国新聞記者の来訪記
早朝の明治神宮参拝
雲右衛門に素語り三席
宮崎滔天の浪花節
翁と遠山満との写真
木戸が差した兼定
わしはあまり執着しない
相撲取りは常陸と太刀
死んで生まれ変われ
革丙将軍の遺物
飛行機は愉快々々
美人天上より落つ
これは役に立たん方じゃ
七日の断食、一食二十杯
胃潰瘍を三度やった
顔が売れると世間へ通る
親に似ぬ子、似た子
俺は欺かれん
紙幣は袂へ無造作に
石塔の頬かぶり
ふりまらで大弓
わしの化物退治
俺の書は頭山流じゃ
わしの印は貰いものばかり
わしの若返り法
モウ一度四十才から出直したい!
俺は馬鹿運が強い
敵を倒してそこに安全を求むる
富相破りの貧乏生活じゃ
外国の憲法論で日本を論ずる間違い