書肆心水・総合ページへ

皇室と日本――敗戦後皇室論議の要諦

歴史研究の立場から見た皇室をめぐる論理と感情

時代に順応して変化するところにあった皇室の「恒久性」とは何か?――皇室の存在が再定義されつつあるいま、皇室制度支持世論の持続と左翼型反天皇制論衰退の原因を、長大な連作『文学に現はれたる我が国民思想の研究』で知られる歴史研究の碩学津田左右吉が残した論説に探り、敗戦後の出発点における「象徴天皇制」をめぐる議論の基本を確認する。

ここのリンク先で本書のなかをご覧いただけます(PDFファイル)


著者 津田左右吉
書名 皇室と日本 敗戦後皇室論議の要諦
体裁・価格 A5判上製 320p 定価7590円(本体6900円+税10%)
刊行 2017年6月
ISBN 978-4-906917-68-6 C0021

●目 次

I
日本の国家形成の過程と皇室の恒久性に関する思想の由来
日本の皇室
皇室の問題
皇室に関する思想について

II
元号の問題
教育に関する勅語について
「建国記念の日」を設けたい
未来の日本は過去の日本から作られる
八月十五日のおもいで
『菊と刀』のくに――外国人の日本観について
神代史のカミについて
天 皇 考

附録 回顧二千年

●著者紹介

津田左右吉(つだ・そうきち) 1873年生、1961年歿。歴史学者。厳密な古典批判により、学問的な日本・東洋の古代史と思想史研究を開拓。のちにその記紀研究が右翼思想家から告発され、幾つかの著書が発禁となり、次いで出版法違反で起訴される。主著『文学に現はれたる我が国民思想の研究』(岩波文庫全8巻)。

1891年、東京専門学校邦語政治科卒業。1896年、教員免許状取得。中学校教員等を経て、1908年、満鮮歴史地理調査部(白鳥庫吉主任)の研究員となる。1913年、『神代史の新しい研究』刊行。1914年、満鮮歴史地理調査部の閉鎖によりその事業が東京帝国大学に移管、1915年、その嘱託研究員となる(1939年まで)。1916年、『文学に現はれたる我が国民思想の研究』刊行開始。1918年、早稲田大学講師となる(1920年、教授)。1919年、『古事記及び日本書紀の新研究』刊行。1924年、『神代史の研究』刊行。1926年、東洋文庫研究部研究員となる。1927年、『道家の思想と其の開展』刊行。1930年、『日本上代史研究』刊行。1933年、『上代日本の社会及び思想』刊行。1935年、『左伝の思想史的研究』刊行。1938年、『儒教の実践道徳』、『支那思想と日本』刊行。1939年、原理日本社の出版物による津田史学への攻撃が始まり、1940年、早稲田大学教授辞職、著書二冊が発禁となり、出版法違反(皇室の尊厳冒瀆)で起訴される。1944年、「時効完成により免訴」の宣告にて起訴事件は解消。1946年、『論語と孔子の思想』刊行。1947年、帝国学士院会員に当選。1949年、『日本の神道』刊行、文化勲章受章。1950年、『儒教の研究』刊行開始。1951年、第一回文化功労者に選ばれる。1953年、『日本文芸の研究』刊行。1957年、『シナ仏教の研究』刊行。1959年、『歴史学と歴史教育』刊行。1961年、朝日賞受賞、『思想・文芸・日本語』刊行。