仏教美学の提唱
柳宗悦セレクション
美醜の彼岸、自在の美、他力の美
―― 柳宗悦民芸思想の最終到達点、仏教美学とは何か
従来よく読まれてきた 「美の法門」 「無有好醜の願」 「美の浄土」 「法と美」 (岩波文庫・ちくま学芸文庫所収) のほかに豊富にのこされている仏教美学をめぐるテキストを集成し、柳の提唱する仏教美学の具体的で多様な諸相を示す。 ……「人は恐らく、在銘の作を作る時より、無銘の作を作る時の方が心が自由であろう。(柳宗悦)」
シリーズ他巻 朝鮮の美 沖縄の美 柳宗悦セレクション
ここのリンク先で本書のなかをご覧いただけます(PDFファイル)
著者 柳 宗悦
書名 仏教美学の提唱 柳宗悦セレクション
体裁・価格 A5判上製 320p 定価5720円(本体5200円+税10%)
刊行日 2012年5月30日
ISBN 978-4-906917-00-6 C0015
●著者紹介
柳 宗悦 (やなぎ・むねよし)
1889年生、1961年歿。民芸研究家・宗教思想家。東京帝国大学文科大学哲学科卒業。雑誌 『白樺』 創刊に参画。「民芸」 という言葉を造り民芸運動を提唱。調査収集と各種の展覧会開催を推進。1936年東京駒場に日本民芸館を設立。
●目 次
仏教美学の悲願
民芸美の妙義
美とは何か
美醜について
美醜以前
美の公案
美感と信心
美 と 禅
美の世界を介して
美の召命
他力門と美
自力と他力
自力と恩力
工芸に於ける自力道と他力道
物 と 法
無銘品の価値について
狭間の公案
仏法多子なし
只この一つ
只の境地
凡人と救い
無功徳の功徳
東洋的確信
伝統の価値について
人物と自然物
円空仏と木喰仏
民間の仏体
自然児棟方志功
不生の文字
版画の間接美について
模様とは何か
*
柳宗悦略年譜
●本書所収 「仏教美学の悲願」 序
この一冊で私は美に関する私の思想の総決算を試みたのである。どういう命数か、平素丈夫な私は、一昨年暮から突如重い病気にかかり、中風で年余の不自由な横臥生活を送った。一時は生死のほどもあやぶまれて、つぶさに病苦を嘗めた。しかし恩寵も大いにあって、始めて多忙な生活から開放〔ママ〕されて、休養の生活を送った。不眠症にも悩まされたが、同時にこれで思索の機会に充分恵まれたとも云える。それで長いこの横臥の期間を利して、私は私の美論を整理し、出来る事なら徹底せしめようと思い立ち、ほぼ組立てを案じ、各部門を考え抜いて見ようと思うに至った。もとより重病中とて、時折記憶も減退し、精力も甚しく不足したが、しかし悦びの仕事であったためか、予想したよりも仕事は早くはかどった。只、左半身の自由を失った私は、何事も人手を借りなければならない身であって、書斎にも行けず、参考書を見る事も出来ず、一冊の辞典も座右に置く事が出来ない始末であった。止むなく一切を覚束ない記憶に委ねねばならなかった。だから西洋美学書の一冊も参考にする事が出来なく、従って私の美学に関する目下の知識は学生の折、聴講した美学の域を出ない。しかし考えようによっては、それだけ自由に東洋美学を建てる機会を得たとも思われ、別にひけ目を感ぜずに筆を進めた。それで大部分を私自身の体験した直観にもとづいて論を進めた。
しかし本文中にも示唆した様に、美学の様な学問はとりわけ正しい美体験をもとにせねばならない。美体験とはじかにこの眼で直観して美しさを見届けることを云う。やさしく云えば、美しい物に即して、美しさを語らねばならない。
どういう廻り合せか、私は若い時から美しい品物に心を惹かれ、後年になって美術館を立てる希願を抱き、これが具現されて、朝鮮民族美術館及び日本民芸館となったのである。私は文字通り、半世紀近くを日夜美しいものに囲まれて暮してきた。必然、美しさについてもの想う事が多くなった。それに私及び私の親しい友達が感じて、美しいものと見做すものは在来の標準と異っているものが多いのに気附き、吾々自身の見方に使命を感ずるに至った。美について最も深い体験を持っている筈の茶人さえも、昔はいざしらず今日では、至って低調な直観より持たないので、尚更私共が仕事をすべき分野が沢山残されていると考えられた。この美への考察は近世では、美学なる一門があって既に沢山の本が日本でも出ているが、何れも西洋近代思想の上にのみ築かれているのである。しかし私共が美学書を書くからには、東洋的体験の上に立つのが当然であり、又必然であろう。それによって西洋人が見届けなかった面を見る事が出来る。
しかし東洋的見方で最も円熟したものは、何と云っても仏教思想である。特に大乗仏教と呼ばれるものである。それは大した宗教体験によっているのである、それ故仏教的思索で、美の世界を省みる事が大いに必要であり、又これによって、西洋人が見届けていない幾多の真理を明るみに出す事が出来よう。
しかし美の世界の如きものは、特に単なる理知的思想、分析的知性からだけでは近寄れぬ。やはり美への東洋的直観が基礎にならなければならない。然るにこの面では日本人は大いに自覚があってよいように思う。特に足利時代以降日本人の眼は幾多の伝統的教養に培われて鋭く確かなものに育てられて来たのを信ぜざるを得ぬ。「インドが知」なら、「支那は行」、「日本は眼」だとそう云い度い。この「日本の眼」を基礎にした美学が起ってよい。既に幾分かは初期の茶人達によって果されてはいるが、しかし茶人達は真理探求にはそう努力を払っておらぬ。専ら美を味わう面に心が注がれていたからである。だから茶人の言葉は断片的閃きとしては値打ちがあるが、茶道に閉じこもっていただけ視野は狭く、又見た品にも甚しい限界がある。この点私達後代の者達は遥かに多くのものを目撃する機会に恵まれ、その立場は遥かに自由で又新鮮であろう。
かく東洋人である恵み、日本人に生れた恵みを十二分に活かして美学を建てる悦びが、吾々に与えられているという自覚を持たざるを得ぬ。かかる自覚から組み立てたのがこの仏教美学なのである。(もとより元来仏教美学なるものが、歴史的に存在していたわけではない。それ故これは美に関する仏教的思索と見て下さってよい。)
広い意味で日本人の美思想は平安朝以来その文学に現れ、足利時代に至って能楽に現れ、遂に茶道に至ってとりわけ禅との結縁を深めた。江戸時代に於ては芭蕉を中心とする俳諧に最も深い思索が見られる。以上何れもその根底には仏教的世界観が控えているのは誰も識る所であろう。只その仏教は主として自力聖道の仏教によって代表された。然るに私達に於て始めて他力的仏教真理が美の領域に適応される。
かくして更に時代の恵みによって、自他両面を見る機会を得てきたのである。西洋の美学は更に近世になり益々個人中心の美思想であって、天才崇拝が見られる。しかし私共に至って無銘品の美が改めて見直され、美の領域を民衆にも拡げる要を見た。ここに私共の美思想の一特色があるとも云えよう。今迄は美思想に他力道の存在を見たものはかつてない。これは美学の発展した近世が個人主義の時代の産物であったからと云えよう。
しかし現在で民主々義が主張されてきたにも拘らず、民衆に示された美への美学はまだ勃興して来ぬ。それは個人主義、天才主義の思考が長く文化の根底をなしたので、その惰性からぬけきらぬ為と思われる。しかも民主主義は主として経済及び社会問題で足踏みをしているのである。しかし美思想も今や他力的一道に眼を向けるべき時期に到達してよくはないか。この一書はその先駆をなす使命を負びているのである。何故なら近き将来、天才中心の美思想から、民衆中心の見方へと移行するその道程が示されてくるに違いないであろうから。尤もこれは天才美への見方の不必要を意味するものではなく、仏教的に云えば凡夫成仏の真理への新しい宣揚なのである。想うにこの思想が最も円熟したのは日本の鎌倉時代で、法然上人を基礎として親鸞や善慧を経て一遍に至って、それが円熟したのである。かかる歴史を持つ日本で他力美学が起るのは、必然の歴史的現象とも云えよう。しかも自力美学は禅美に於て既に西洋とは異る頂上に到達したのであるから、ここに、自他相即の美思想に進むのもこれまた必然な歴史的使命の結実とも云えよう。
この一書は、かかる歴史的背景の上に立って書かれた最初の開拓だとも云える。開拓は完成ではないから、私の希いは将来健やかに建てられるべき建物への礎を安泰に置く事である。
病中の仕事とて不充分な点は重々あるが、逆に病気のためにこんな一書が生れたとも云える。ともかく西洋人が当分触れそうもない美にまつわる諸問題がここに盛られているから、ささやかなものではあるが、西欧への一つの贈物にはなるであろう。出来たら不日これを英訳して広く世に問い度い。誰か飜訳を背負ってくれる人が出るなら有難く迎え度いと思う。因に私は言論を抽象に流れないようにする為に絶えず実例を挙げることに努めた。(昭和三十三年七月中旬 病床にて記す)
*この「仏教美学の悲願 序」は歿後昭和38(1963)年発表の原稿で、文中の「一書」すなわち『仏教美学の悲願』は刊行されなかった。本書でこれに続き収める「仏教美学の悲願」と題する文章が「一書」の本文になるはずであっただろうと推察されている(全集版解題)ので本書では「仏教美学の悲願」の題の下に一括して掲げるが、元は別々に書かれたものである。