イデオロギーとロジック 戸坂潤イデオロギー論集成 イデオロギーとは何か? 基本的・原理的な考察。 時局評論の名著『日本イデオロギー論』(岩波文庫)を可能にした原理的イデオロギー論の二大主著、『イデオロギーの論理学』『イデオロギー概論』を中心に、戸坂潤のイデオロギー原論を集大成。 京都学派が生んだ唯 物論哲学者の批評理論の真髄。 単なる悪口ではないものとしてのイデオロギー、あるいはイデオロギー論の豊饒。論争的諸関係の真理を示す科学論としての原理的考察と、諸科学・哲学・新聞・大学等々をめぐる具体的現象の考察。 哲学者によるイデオロギー読本。 |
著者 戸坂 潤
書名 イデオロギーとロジック 戸坂潤イデオロギー論集成
体裁・価格 A5判上製 448p 定価5060円(本体4600円+税10%)
刊行日 2007年11月30日
ISBN 978-4-902854-36-7 C0010
著者紹介
戸坂 潤 (とさか・じゅん)
哲学者・批評家。1900年、東京神田生まれ、1945年、長野刑務所にて獄死。
1918年、第一高等学校理科入学、数学専攻。1921年、京都帝国大学文学部哲学科入学。京大在学中は数理哲学を専攻、空間論、その他自然科学の基礎研究。1924年、京都帝国大学卒業、大学院入学。1926年、岡田充子と結婚。1929年、大谷大学教授(哲学担当)となる。1930年、逃走中の共産党員を自宅に泊め検挙されるが約一週間で釈放。この年、妻充子死去。1931年、三木清のあとをうけて法政大学講師となる。この年、小曾戸イクと再婚。1932年、唯物論研究会を創設。1934年、思想不穏の廉で検挙され、法政大学文学部免職、著述専業生活となる。1935年、編集責任者を務めた『唯物論全書』刊行開始。1937年、執筆禁止となる。この頃、社会大衆党入党。1938年、唯物論研究会を解散、学芸発行所を創設し、機関誌『唯物論研究』を『学芸』と改める。この年、唯物論研究会事件で検挙、杉並警察署に留置され、1940年、起訴されて東京拘置所に収容される(年末に保釈出所、2年ぶりに帰宅)。1941年、第一審懲役四年の判決(控訴)。1942年、控訴審懲役三年の判決(上告)。1944年、大審院上告棄却。敗戦を見通して下獄延期願を提出し、9月1日に東京刑務所に下獄。1945年、5月1日、長野刑務所に移される。栄養失調と疥癬のため急性腎臓炎発病、8月9日、獄死。
主な出版著訳書。 1924年、ヴィンデルバント『意志の自由』翻訳(大村書店)。 1929年、『科学方法論』(岩波書店)。 1930年、『イデオロギーの論理学』(鉄塔書院)。 1931年、カント『自然哲学原理』翻訳・解説(岩波書店)。 1932年、『イデオロギー概論』(理想社出版部)。 1933年、『現代のための哲学』(大畑書店)。 1933年、『技術の哲学』(時潮社)。 1934年、『現代哲学講話』(『現代のための哲学』改版、白揚社)。 1935年、『日本イデオロギー論』(白揚社)。 1935年、『科学論』(三笠書房)。 1936年、『思想としての文学』(三笠書房)。 1936年、『思想と風俗』(三笠書房)。 1936年、『現代日本の思想対立』(今日の問題社) 1936年、『現代唯物論講話』(白揚社)。 1937年、『世界の一環としての日本』(白揚社)。 1938年、『読書法』(三笠書房)。
目 次
イデオロギー
I イデオロギーの論理学
「性格」概念の理論的使命
「問題」に関する理論
論理の政治的性格
無意識的虚偽
科学の歴史的社会的制約
科学の大衆性
II イデオロギー概論
第一部 「社会科学」的イデオロギー論の綱要
第一章 イデオロギーの問題
第二章 イデオロギー論の課題
第三章 諸科学のイデオロギー論
第二部 「社会学」的イデオロギー論の批判
第四章 文化社会学の批判
第五章 知識社会学の批判
第六章 社会心理学の批判
III
自然科学とイデオロギー
イデオロギーとしての哲学
新聞の問題
新聞現象の分析
アカデミーとジャーナリズム
批評の問題
論理学