一方、グラックの『ひとつの町のかたち』は、いかにしてナントがグラック第二の故郷となったかが、グラックならではの瑞々(みずみず)しくも絢爛たる文体で語られます。しかしグラックのことですから、この都市エッセイが一筋縄でゆくはずもなく、これは都市じたいがそうであるような多面的時空間を構成します。じっさいこの翻訳書は2004年最大の収穫ではないでしょうか(わたし自身はこのナント物語を Yves Aumont, Alain-Pierre Daguin, Les lumières de la ville : Nantes et le cinéma と併読していますが)。
本書について、特に次の2点を高く評価したい。著者は Le Petit Prince の翻訳批評を批判し、内藤訳の誤りや不適切さを徹底的に指摘し、新訳を厳しく点検する。著者の口調は、直截的で、激しい。しかし、このような批判は必要であり、しかも、前向きな論法が用いられる。これが第1点である。批判することで、翻訳批評や翻訳そのものの誤りや見当違いを看過せず、その欠陥をはっきりと浮き上がらせる。批判は問題点を見定めるために必要なのだ。そればかりか、著者は、批判の理由・根拠を必ず付け加える。翻訳批評の誤りを批判し、それが何故誤りなのか、的外れであるのかを説明する。内藤訳の問題箇所を指摘し、それが何故誤りなのか、不適切なのかを解説する。著者が原作をどのように理解しているか、どのような日本語の表現に移し替えたらよいのかも提案する。原作の読みの正確さと日本語の表現の適切さが検討されることで、本書における批判は、あるべき翻訳への道筋を指示する、前向きな、建設的なものと言える。
第2点は、批判の理由・根拠を示す説明・解説が充実していること。実に、教示に満ちている。例えば、原作の語句の意味を正確に把握するために、一般の学習者向けの仏和辞典や仏仏辞典を調べ、原作の他の箇所での用例に当たる他に、著者は、サン=テグジュペリの他の作品での用例や、日刊紙の一般的な用例を参照する。広い範囲の資料を調べている。原作内容を理解する上でのキーワード―― apprivoiser, rites, doux/douce ――の意味をとりわけ綿密に検討し、原著者が語句に込めた意味に相応しい訳語を探している。これは熟読に値する。原作内容の展開につれて何度か用いられる語句の呼応関係を把握するという、原作の深い読み方も示唆に富む。
Le Petit Prince の翻訳例が検討される際に、他の作者の原作の翻訳例もいくつか引き合いに出される。その中でも、ミラン・クンデラ『冗談』のフランス語訳をめぐる事件の紹介がとりわけ興味深い。ボーボワール『第二の性』の新訳出版までの経緯が注記で紹介されるなど、誤訳・悪訳を乗り越えるために努力する訳者や出版社に関する、心強い情報もある。
ただ、主に記述の提示の仕方について、気になったことがある。2点を挙げる。
(……中略……)
本書は Le Petit Prince の翻訳批評というだけにとどまらない。他の作品にも応用できる翻訳の実践マニュアルでもあり、何よりも、翻訳という営みについての厳しいが真摯なメッセージに満ちた翻訳論でもある。長年定番とされてきた訳書の後を受け、新たな翻訳を試みるには、旧訳の欠点を見定め、これを克服するような翻訳を目指すべきである。翻訳者とは、原作と原著者を愛し、そのためにも原作を正しく伝えるという、読者への倫理的責任を負う。原作と読者の間の橋渡し役なのだ。このような役割を持つ翻訳者が目指すべき翻訳を、ミラン・クンデラに倣い、うつくしく忠実な翻訳、と著者は表現する。原作に忠実でありながら、別の言語で新たに創造されたうつくしい作品であるような翻訳を実現するのは、本当に難しい。
フランス語のクラスで、あるいは独学で、Le Petit Prince の原作を読み、日本語に移し替えようとする意欲的な学習者には、格好の手引書として、また、翻訳をテーマとするゼミなどで、フランス語翻訳の貴重な参考文献として、本書が大いに活用されることを切望する。 遠藤史子(北海道大学)