Shoshi Shinsui




師弟問答 西田哲学

響きあう言葉、師を思う言葉――ひとつの、西田哲学入門

理解しあう師弟ならではの、親密・卒直で、内容と含蓄のある、打てば響く名問答。

著作物としての厳密さの観点から西田全集には収録されてこなかったものの、興味のつきない内容。 ひとつの西田哲学入門として一般読書界に送る小選集。

対談では控えめで的確な問者に徹する三木清の、西田論の全てを併録。

   



* 書評記事の断片をご紹介してあります。 こちら のページへどうぞ。




◎長期品切 ※第T部の対談各編は『語る西田哲学』に再録しました
著者 西田幾多郎・三木清
書名 師弟問答 西田哲学
体裁・価格 四六判上製 128p 定価1650円(本体1500円+税10%)
刊行日 2007年2月28日
ISBN 978-4-902854-27-5 C0010


著者紹介

西田幾多郎 (にしだ・きたろう)

1870(明治3)年、石川県生まれ。哲学者。第四高等中学校中退、帝国大学文科大学哲学科選科修了。第四高等学校講師を経て教授。この時期より参禅への関心を強め、禅師につく。号の寸心はこのころ雪門老師より受けたもの。その後、学習院教授を経て、1910(明治43)年、京都帝国大学文科大学助教授。1911(明治44)年、『善の研究』を処女出版。1913(大正2)年、京都帝国大学文科大学教授。1917(大正6)年に『自覚に於ける直観と反省』を岩波書店より出版し、以後、『働くものから見るものへ』『一般者の自覚的体系』『無の自覚的限定』『哲学の根本問題』『哲学論文集(第一〜第五)』等、最晩年まで同書店より多数の単行本を出版、これらは後に『西田幾多郎全集』(岩波書店)に収められる。1928(昭和3)年、京都帝国大学を停年退職。1940(昭和15)年、文化勲章受章。1945(昭和20)年6月7日、病のため鎌倉にて死去。

三木清 (みき・きよし)

1897(明治30)年、兵庫県生まれ。哲学者。第一高等学校卒業、西田幾多郎に師事するため京都帝国大学進学、同大学卒業。1922(大正11)年、ドイツへ留学し、リッケルト、ハイデガーに学ぶ。パリ滞在を経て帰国。1926(大正15)年、『パスカルに於ける人間の研究』を処女出版。第三高等学校講師を経て、1927(昭和2)年、法政大学文学部哲学科主任教授となり上京。以後、岩波書店の企画編集に協力。羽仁五郎と雑誌『新興科学の旗のもとに』を発刊し、マルクス主義の人間学的基礎付けを試みる。1930(昭和5)年、治安維持法違反の嫌疑で検挙され、これにより教職を失い、著述業生活に入る。1938(昭和13)年、近衛文麿のブレーントラストとして結成された昭和研究会に参加。1945(昭和20)年3月検挙、6月に投獄され、9月26日、病のため獄死。主要著作出版物、『三木清全集』(岩波書店)、『哲学入門』(岩波新書)、『構想力の論理』(未完作品)など。

目 次

I 師弟問答(西田幾多郎・三木清)

 日本文化の特質 ―― 西田幾多郎博士との一問一答

 ヒューマニズムの現代的意義 ―― 西田幾多郎博士に訊く

 人生および人生哲学

II 師を語る(三木清)

 西田幾多郎博士

 西田幾多郎先生のこと

 日本哲学の樹立者としての西田幾多郎博士

 西田先生のことども

 西田哲学の性格について ―― 問者に答える

「問答」より

(三木) 表現というのは、突き詰めると、どういうことでしょうか。

(西田) 表現というのは自分を否定し他者において自分を見るということだ。それがまた働くということの意味で、働くという場合、二つのものが関係するので、そこにはいつも、自分を否定し他において自分をみて肯定するという意味がある。マルキシズムは意識は写すものと云うが、写すとは働くことだ。歴史の世界は表現として、言葉というものについて深く考えてみなけりゃならん。