Shoshi Shinsui




リオタール哲学の地平 リビドー的身体から情動-文へ

初の本格的リオタール論

マルクスが、フロイトが、絵画が、声が、情動が、リオタール哲学の風に乗って飛揚する。――前期リオタールのキーワード=《リビドー的身体》と、後期リオタールのキーワード=《情動-文》で、リオタール哲学を横断。

0 欲望の変様
1 「非有機的身体」と「自然」
2 『リビドー経済』における「身体(コール)」
3 ターナー、絵画の行方
4 『判断力批判』の可能性
5 『哲学の悲惨』と情動-文
6 情動、フォネー
7 喉で聞く
+ リオタール主要著作ダイジェスト(37冊・50頁)


   




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著者 本間邦雄
書名 リオタール哲学の地平 リビドー的身体から情動-文へ
体裁・価格 A5判上製 352p 定価3520円(本体3200円+税10%)
刊行日 2009年2月20日
ISBN 978-4-902854-55-8 C0010


著者紹介

本間邦雄 (ほんま・くにお)

1951年新潟市に生まれる。京都大学工学部建築系学科卒業。東京大学文学部哲学専修課程卒業。パリ第八大学フランス政府給費留学。東京大学大学院人文科学研究科・比較文学比較文化博士課程単位取得満期退学。現在、駿河台大学現代文化学部教授。

主要訳書
◎ガストン・バシュラール『火の詩学』(せりか書房、1990年)
◎ジャン=フランソワ・リオタール『ハイデガーと「ユダヤ人」』(藤原書店、1992年)
◎ジャン=フランソワ・リオタール『リオタール寓話集』(藤原書店、1996年)
◎ポール・ヴィリリオ『電脳世界』(産業図書、1998年)
◎ジャック・デリダ『言葉にのって』共訳(ちくま学芸文庫、2001年)
◎デリダ/ドゥルーズ/リオタール/クロソウスキー『ニーチェは、今日?』共訳(ちくま学芸文庫、2002年)

内容紹介(本書「はじめに」より引用)

序 章 は、「欲望の変様」と題して、1970年代以降のジル・ドゥルーズ、リオタールの著作活動を中心に、欲望概念のとらえなおしとその波及的展開を提示した。『アンチ・オイディプス』(1972年)から『リビドー経済』(1974年)、そして『文の哲学』(1983年)までを概観する。

第1章 では、人間の身体性を「有機的」・「非有機的」身体の相関から提起したマルクスの枠組みにたいして、それをさらにとらえかえしたモーリス・メルロ=ポンティの「自然」概念を考察し、第2章のリビドー的身体の考察につなぐ。

第2章 では、『リビドー経済』を読みつつ、現代の高度産業社会の流動的な人間のありかたや社会のしくみを、有機的身体のモデルや類比で考察することの限界を確認する。そして、「リビドー的身体」をめぐる言説の展開を通して、言述の制度そのものを問題化しつつ、「身体」概念の変容と、それに相関する言語表現を、「強度」を鍵語として志向するリオタールの試みを考察する。

第3章 は、ターナーの晩年の作品『墓参り』をとりあげた。ターナーの後期の作品は、伝統的なアカデミズムの絵画とは異なり、テーマ、物語性、画面構成、色彩などさまざまな点において、絵画という表象的基盤と制度を根本的に問いなおす試みであった点を多角的に論じる。絵画の表象、制度の歴史的問題を『ディスクール、フィギュール』(1971年)の提示する枠組みに基づき、表象性の問題枠を、筆者の関心対象の後期ターナー絵画に一部適用しつつ論じたものである。振り返ってみれば、『ディスクール、フィギュール』によって触発された一篇と言うことができる。

第4章 は、カントの『判断力批判』のなかの、とくに「崇高」の問題性を論じた『「崇高なものの分析論」についての講義ノート』(1991年)を通して、ポストモダンにおける「崇高」の問題を再三語ったリオタールの思考を考察したものである。自己回帰的に自己を根拠づけることによって他者や対象を判断するのではなく、自明な根拠のないところでいかに判断するか、しうるかという問いが問題の背景となっている。

第5章 では、『文の哲学』で提示された〈文〉の〈宇宙〉の分節、変換および〈文〉と〈文〉との「抗争(ディフェラン)」の問題を概観する。そして『文の哲学』ではあつかわれなかった「情動」を、通常の〈文〉のように分節化されていない〈情動-文〉として論じ、展開した『哲学の悲惨』(2000年)の諸章をとりあげた。そこに「幼年期」の問題系が浮上してくる。

第6章 では、『インファンス読解』(1991年)、『哲学の悲惨』等でとりあげられているフロイトの「エマ」の症例と「ねずみ男」の症例を中心に、リオタールの注目する「情動」の問題性を、前章にひきつづき論じた。「無意識的情動」、「事後性」、「分節化されていない声」等の問題に焦点があてられる。

第7章 では、リオタールのアンドレ・マルロー論、とくにマルローの『人間の条件』に出てくる「自分の声は喉で聞く」という事態をめぐるリオタールの考察に焦点をあてた。参照した書物は『マルローの署名入り』(1996年)、『聞こえない部屋』(1998年)である。またリオタールが晩年に再三注目、言及したアウグスティヌスの『告白』のエクリチュールの特徴(『アウグスティヌスの告白』(1998年))を私たちに差し出された問題性として提示し、リオタールの思考しつづけたところを、本書の終章としてつづった。

また巻末に、主要著作ダイジェストを載せた。リオタールには共著の出版やフランス以外で出版された著作もあり、すべての出版物を網羅しているわけではないが、主要と見なされる著作は漏れていないはずである。本書で言及、引用した著作の前後関係や、言及しなかった書もふくめ、リオタールの著作活動における各書の通時的位置づけを知る参考にもなると思われ、作成を試みた次第である。なお、同じく参考までにリオタールの略年譜も添えた。