日本的哲学という魔 戸坂潤京都学派批判論集 西田幾多郎、田辺元、和辻哲郎、三木清。 誰が、どのように、どの程度、問題か? 西田の「無」――無の論理。 田辺の「種」――種の論理。 和辻の「間」――間の倫理。 京都学派の生成と展開にあらわれた、近代日本への哲学導入における諸問題、その原風景。 いまなお日本に世界的水準の哲学が育ち難いことの淵源をさぐる。 戸坂潤の京都学派批判関連論考を網羅的に集成。 |
著者 戸坂 潤
書名 日本的哲学という魔 戸坂潤京都学派批判論集
体裁・価格 A5判上製 224p 定価3080円(本体2800円+税10%)
刊行日 2007年11月30日
ISBN 978-4-902854-37-4 C0010
著者紹介
戸坂 潤 (とさか・じゅん)
哲学者・批評家。1900年、東京神田生まれ、1945年、長野刑務所にて獄死。
1918年、第一高等学校理科入学、数学専攻。1921年、京都帝国大学文学部哲学科入学。京大在学中は数理哲学を専攻、空間論、その他自然科学の基礎研究。1924年、京都帝国大学卒業、大学院入学。1926年、岡田充子と結婚。1929年、大谷大学教授(哲学担当)となる。1930年、逃走中の共産党員を自宅に泊め検挙されるが約一週間で釈放。この年、妻充子死去。1931年、三木清のあとをうけて法政大学講師となる。この年、小曾戸イクと再婚。1932年、唯物論研究会を創設。1934年、思想不穏の廉で検挙され、法政大学文学部免職、著述専業生活となる。1935年、編集責任者を務めた『唯物論全書』刊行開始。1937年、執筆禁止となる。この頃、社会大衆党入党。1938年、唯物論研究会を解散、学芸発行所を創設し、機関誌『唯物論研究』を『学芸』と改める。この年、唯物論研究会事件で検挙、杉並警察署に留置され、1940年、起訴されて東京拘置所に収容される(年末に保釈出所、2年ぶりに帰宅)。1941年、第一審懲役四年の判決(控訴)。1942年、控訴審懲役三年の判決(上告)。1944年、大審院上告棄却。敗戦を見通して下獄延期願を提出し、9月1日に東京刑務所に下獄。1945年、5月1日、長野刑務所に移される。栄養失調と疥癬のため急性腎臓炎発病、8月9日、獄死。
主な出版著訳書。 1924年、ヴィンデルバント『意志の自由』翻訳(大村書店)。 1929年、『科学方法論』(岩波書店)。 1930年、『イデオロギーの論理学』(鉄塔書院)。 1931年、カント『自然哲学原理』翻訳・解説(岩波書店)。 1932年、『イデオロギー概論』(理想社出版部)。 1933年、『現代のための哲学』(大畑書店)。 1933年、『技術の哲学』(時潮社)。 1934年、『現代哲学講話』(『現代のための哲学』改版、白揚社)。 1935年、『日本イデオロギー論』(白揚社)。 1935年、『科学論』(三笠書房)。 1936年、『思想としての文学』(三笠書房)。 1936年、『思想と風俗』(三笠書房)。 1936年、『現代日本の思想対立』(今日の問題社) 1936年、『現代唯物論講話』(白揚社)。 1937年、『世界の一環としての日本』(白揚社)。 1938年、『読書法』(三笠書房)。
目 次
西田幾多郎批判
京都学派の哲学
「無の論理」は論理であるか ―― 西田哲学の方法について
ブルジョア哲学とその宗教化的本質
田辺元批判
田辺哲学の成立
「種の論理」
和辻哲郎批判
日本倫理学と人間学 ―― 和辻倫理学の社会的意義を分析する
和辻博士・風土・日本
「やまと魂」学派の哲学
三木清批判
三木清氏と三木哲学
京都学派の位置
現代日本の思想界と思想家
現代の哲学と宗教
現代における「漱石文化」
附録 哲学の話