実践哲学について 西田幾多郎論文選 これまで注目されてこなかった西田哲学の一論点――「私」と「物」の関係について。 自己を世界の外に置く立場から、自己が世界の中にある立場へ、あるいは観念論と唯物論をともにのりこえる場所的弁証法。「物となって考え、物となって行なう」、我と物との「矛盾的自己同一」すなわち「行為的直観」。 実践と対象認識 ―― 歴史的世界に於ての認識の立場 実践哲学序論 ポイエシスとプラクシス(実践哲学序論補説) |
著者 西田幾多郎
書名 実践哲学について 西田幾多郎論文選
体裁・価格 A5判上製 288p 定価4070円(本体3700円+税10%)
刊行日 2008年1月30日
ISBN 978-4-902854-40-4 C0010
著者紹介
西田幾多郎 (にしだ・きたろう)
1870(明治3)年、石川県生まれ。哲学者。第四高等中学校中退、帝国大学文科大学哲学科選科修了。第四高等学校講師を経て教授。この時期より参禅への関心を強め、禅師につく。号の寸心はこのころ雪門老師より受けたもの。その後、学習院教授を経て、1910(明治43)年、京都帝国大学文科大学助教授。1911(明治44)年、『善の研究』を処女出版。1913(大正2)年、京都帝国大学文科大学教授。1917(大正6)年に『自覚に於ける直観と反省』を岩波書店より出版し、以後、『働くものから見るものへ』『一般者の自覚的体系』『無の自覚的限定』『哲学の根本問題』『哲学論文集(第一〜第五)』等、最晩年まで同書店より多数の単行本を出版、これらは後に『西田幾多郎全集』(岩波書店)に収められる。1928(昭和3)年、京都帝国大学を停年退職。1940(昭和15)年、文化勲章受章。1945(昭和20)年6月7日、病のため鎌倉にて死去。
目 次
実践と対象認識 ―― 歴史的世界に於ての認識の立場
1937年『哲学論文集第二』所収
実践哲学序論
1941年『哲学論文集第四』所収
ポイエシスとプラクシス(実践哲学序論補説)
1941年『哲学論文集第四』
西田幾多郎著書目次一覧
西田幾多郎略年譜
人名索引
西田幾多郎の言葉(本書より)
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従来の認識論は意識の立場から出立する。(…)実践の立場といっても、実践によって映すなどと考えるのでは、意識の立場を脱して居るのではない。それはやはり自己を世界の外に置いて居るのである。自己が世界の中にいて、実践そのことが世界の出来事でありながら、単に世界を映すという如き模写説は考えられない。そこには別の認識論がなければならない。対象を映すと云わなければ、主観的となるのを恐れるのかも知れないが、単に映される対象界というものは死物たるに過ぎない。弁証法的に動き行く具体的実在は、単に之を映すという如きことは不可能である。弁証法的に知るということは、映すということではない。然らざれば意識的自覚と択ぶ所はないのである。
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私は(…)知るということは、意識の立場から、映すとか認識主観の綜合統一とかいうことでなく、我々が此世界に於てあり、此世界に於て働くということから考えられなければならぬと云った。知るということも、働くことでなければならない。而して制作でない行為とか実践とか云うものはない。行為とか実践とか云うのは、歴史的世界を変ずることでなければならない、逆に歴史的世界が自己自身を変ずることでなければならない。然らざれば、行為とか実践とか云っても、意識に於て然思うか、さなくば自然の運動という如きものに過ぎない。