タブーと法律 法原としての信仰規範とその諸相 距離と原-政治。――秩序=権力論の要諦、タブー 時代が進歩してもあらたに生まれ続ける「タブー」の本質とは何か? その諸相・種類はいかなるものか? 経験的危険回避から、信仰規範をへて、法制化にいたるその「進化」過程はいかなるものか? 「タブー」はいかなる領域に生じるか? 近代日本法学の重鎮が遺した、法人類学的「タブー」論の重要文献。 日本と中国の漢字文化における事例も豊富な、類なき業績。 穂積陳重の連作ライフワーク「法律進化論」中、「タブーと法律」の一篇を単行本化。 |
著者 穂積陳重
書名 タブーと法律 法原としての信仰規範とその諸相
体裁・価格 A5判上製 288p 定価5170円(本体4700円+税10%)
刊行日 2007年7月30日
ISBN 978-4-902854-32-9 C0039
著者紹介
穂積陳重 (ほづみ・のぶしげ)
明治大正期に活躍した法学者。日本最初の法学博士。
1855(安政2)年、伊予宇和島藩士の次男として生まれる。幼時は藩校明倫館で学び、1870(明治3)年、選ばれて大学南校貢進生として上京。1874(明治7)年、東京開成学校英吉利法学科設置にともない法学本科生となる。1876(明治9)年、英国留学を命じられ、ロンドン大学キングスカレッジ、中央法院(ミドルテンプル)で学ぶ。ダーウィンの進化論に触発され、「法律進化」の研究を志す。中央法院卒業後、ドイツのベルリン大学に転じ約2年間在学。約5年の英独留学を終え、1881(明治14)年、帰国、東京帝国大学法学部講師となる。翌年、教授兼法学部長(27歳)。1888(明治21)年、法学博士。1893(明治26)年、法典調査会主査委員となり民法起草・審議の中核的存在として活躍。大学の講義と法典起草で多忙をきわめ、ライフワーク「法律進化論」著述の時間不足に悩む。1912(明治45)年、東京帝国大学退官(名誉教授)。1915(大正4)年、男爵。1916(大正5)年、枢密顧問官。1917(大正6)年、帝国学士院長。1919(大正8)年、臨時法制審議会総裁。1925(大正14)年、枢密院副議長、議長。
1926(大正15)年、死去。穂積八束は弟。妻歌子は渋沢栄一長女。穂積重遠は長男。
文庫版となった著作に、『法窓夜話』(岩波文庫〔元版1916年〕)、『法窓夜話 続』(岩波文庫〔元版1936年〕)、『復讐と法律』(岩波文庫〔元版(法律進化論叢第四冊)1931年〕)、『忌み名の研究』(講談社学術文庫〔現代語訳版。元版『諱に関する疑』1919年、『実名敬避俗研究』1926年再版〕)がある。
その他の主要著作に、『隠居論』(増補改訂版、1915年)、『五人組制度論』(1921年)、『法律進化論』第一・第二冊(1924年)、『神権説と民約説』法律進化論叢第一冊(1928年)、『祭祀及礼と法律』法律進化論叢第二冊(1928年)、『慣習と法律』法律進化論叢第三冊(1929年)、『穂積陳重遺文集』第一〜第四冊(1932〜1934年)がある。
なお、著者関連書としては、穂積重行著『明治一法学者の出発――穂積陳重をめぐって』(1988年、岩波書店)、穂積重行編『穂積歌子日記――明治一法学者の周辺 1890-1906』(1989年、みすず書房)がある。
主要目次
前 論
第1章 「タブー」の語義
第2章 「タブー」の本質
第3章 「タブー」の種類
第4章 「タブー」の成立
第5章 「タブー」の分化
本 論
第1章 「タブー」と法律
第2章 「タブー」と主権
第1節 触接の「タブー」 第2節 近接の「タブー」 第3節 観視の「タブー」 第4節 称呼の「タブー」
第3章 「タブー」と婚姻
第4章 「タブー」と財産権
第五章 「タブー」と刑法
附 録
原典について
本書は、穂積陳重著『法律進化論 第三冊 原質論 前篇』(昭和2年刊、穂積奨学財団出版、発行所岩波書店)を底本としてその「本文」部分の全てを収録し、「タブーと法律」と題して単行本化したものである(副書名の「法原としての信仰規範とその諸相」は内容紹介的に本書発行所が補ったものである)。また、本書の附録として、底本の「附録」(=旧版「タブーと法律」)の一部分(本論第五、後論)と、『法律進化論』の「自序」(大正13年刊第一冊所収)も収録した。