大川周明 訳・註釈 文語訳 古 蘭 (コーラン) 上下2分冊 聖書で根強い人気の文語訳をコーランでも 「汝等信者よ、徹底してイスラームに入れ。サタンの足跡を追ふ勿れ。げに彼等は汝等の公敵なり。」(2-208) 宗教学者にして精神主義の論客・大川周明ならではの、リズム・風格・力強さある文語訳、そして充実した註釈で味わうコーラン。 ムーサーは「モーゼ」、イーサーは「イエス」、マルヤムは「マリア」というように聖書でお馴染みの人名表記がされており、イスラームに親しみのない読者にも違和感なく読める翻訳。 ◎下巻の書影表示はマウスポインターで書影画像にふれて下さい |
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訳者 大川周明(翻訳・註釈)
書名 文語訳 古 蘭 (コーラン) 上・下
体裁・価格・上巻 A5判上製 352p 定価5720円(本体5200円+税10%)
体裁・価格・下巻 A5判上製 352p 定価5720円(本体5200円+税10%)
刊行日 2009年12月30日
ISBN・上巻 978-4-902854-66-4 C0014
ISBN・下巻 978-4-902854-67-1 C0014
大川周明著 『敗戦後 大川周明戦後文集』 のページはこちら
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大川周明著 『大川周明道徳哲学講話集 道』 のページはこちら
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●訳者紹介
大川周明 (おおかわ・しゅうめい)
1886年、山形生まれ。東京帝国大学卒(宗教学専攻)。満鉄東亜経済調査局編集課長、拓殖大学教授などを兼任。北一輝、満川亀太郎らと猶存社を、その後、行地社を結成し国家改造運動を推進。5.15事件で逮捕。東京裁判A級戦犯容疑者となるが精神障害のため不起訴となる。晩年は、国家再出発のためには国家の土台である衣食住を堅固にしなければならないと、農法改善による農村復興のための農村行脚を死に至るまで行なった。1957年歿。
●本書凡例より
▽本書の原本は大川周明訳註『古蘭』(1950年2月15日、岩崎書店刊行)である。底本には1951年3月10日発行の再版本を使用した。
▽原典の書名は単に「古蘭」であり、「文語訳」の文言は、現在における本書の特徴を示すために本版刊行所が加えた角書である。「(コーラン)」の読み仮名添え書きも本版刊行所が加えたものである。
▽本書において漢字は新字体の標準字体を使用するが(原本は基本的に旧字体が使用されている)、原本が古書としても入手困難なものである事情に鑑みて、原本記述の再現、原典の保存を主旨とする立場をとりつつ、次のような表記方針を採用した。
▽仮名遣いは一切を原本の通りとした(原本は古い仮名遣いが使用されているが、いわゆる正しい歴史的仮名遣いで全面的に統一されているものではない)。片仮名綴りにおける拗音・促音等の表記として右寄せ小字が使用されているが、これは原本の通りである(ルビの片仮名に右寄せ小字は使用されていない)。
(以下掲載省略)
●訳者序文より
ゲーテはそのWest-Oestlicher Divanに於て、古蘭について下の如く言へり――『吾等此書に対する毎に、初めは常に嫌悪の情を抱かしめらるるも、そはやがて吾等の心を惹き、吾等を驚かしめ、遂に敬意を払はしむるに至る。……その格調は内容と目的とに相応して厳粛・雄渾・激越に、一貫して実に荘厳なり。……かくて此書は百世を通じて最も強力なる感化を及ぼし往くべし』と。近代精神の最も洗練せられたる、且最も健康なる体現者ゲーテをして、その当初読みたる時に抱ける嫌悪の情を、驚異と嘆賞とに変らしめたる此の書籍は、人間精神の驚くべき所産といふべく、切実に世界と人生とを考察する人の至心の関心を惹くに足るものといふべし。
マホメットに親灸し得ざりし初期信者らは、アーイシャを初め彼の諸未亡人に向ひ、最も熱心に予言者の為人について質問するを常とせり。而してアーイシャは、是くの如き質問を受くる毎に、常に下の如く答へたりと伝へらる――『汝等は古蘭を有するに非ずや。汝等はアラビア人にしてアラビア語を解するに非ずや。然るに汝等は何故に予言者の為人について訊ぬるか。げに古蘭は直ちに予言者の為人に非ざるか』と。
まことにアーイシャの言の如く、古蘭は即ちマホメットなり。古蘭の偉大は、此書が曾て地上に呼吸せる最大なる偉人の一人の性格並に生活を最も忠実に反映するが故にして、ビュフォンが『文は人なり』と言へるは、古蘭の場合に於て無比に適切なり。カーライルが言へる如く、古蘭の長所は『あらゆる意味に於て真摯なること』に存す。即ち古蘭を貫き流るるものは、真摯なるマホメットの生命なり、その真理を追ひ求めて止まざる熱意なり、万難を排して其の把握せる真理を護持せんとする勇猛心なり、而して聴くを欲せざる聴衆に向つて其の把握せる真理を伝へんとする不退転の堅忍なり。而して古蘭の一言一句は、悉く一千三百余年以前にマホメット自身の口より出でたるを如実に今日に伝へたるものなり。此の一事のみを以てするも、古蘭は世界文学史上の希有なる文献なり。
而も古蘭は決して単なる古典に非ず、実に三億回教徒の聖経として、現にその宗教的・道徳的・社会的生活を規定するものなるが故に、尋常の文献を以て之を目すべきに非ず。従つて最も望ましき古蘭の日本語訳は、アラビア語に精通し、日本語に熟達せる敬虔なる回教信者にして初めて之を能くすといふべし。例へば仏典の漢訳が鳩摩羅什乃至玄奘三蔵の如き巨匠に待てるが如し。加ふるに古蘭は、もと決して読者のために書かれたるものに非ず、最初より最後まで聴者のために読誦せられたるものなるが故に、文章としては未完成にして、マホメットの身振乃至音声の抑揚によりて文意を補へる個処あり、また内容は無味乾燥なるも、ネルデケの謂はゆるアラビア語の『異常なる自由と力 Die ungemeine Freiheit und Kraft』によつて、切実なる印象を聴者に与ふるものなるが故に、之を外国語に翻訳してアラビア語の有する音調に伴ふ魅力を彷彿せしむるが如きは、殆ど不可能事に属すといふべし。例へば、メヂナ諸章の如き、マホメットが現実の政治的支配者たり且立法者たる間に接受せる啓示なるが故に、諸節の多くは之を外国語に翻訳すれば、甚だ平板無味なる法律乃至規則の制定にすぎざるも、アラビア語によつてマホメットが之を朗誦せる時は、強く聴者の耳に響き、深く其胸に徹せるが如し。
予は回教信者に非ず、またアラビア語の知識は貧弱なるが故に、訳者としての資格を欠くこと言を俟たず。唯だ大学に宗教学を修め、深甚なる興味を回教に抱き初めてより、其間断続ありといへども、今日に至るまで未だ曾て其の研究を廃せず、存分にアラビア語によつて古蘭の醍醐味を色読するを得ずとするも、その伝ふるところの精神は略ぼ之を領会するを得たり。偶々松沢病院に閑日月を得て古蘭を繙くに及び、意荐りに動くに任せて其の訳註に着手し、昭和二十一年初春に稿を起し、同二十三年初冬に至る約二年の間に成れるもの即ち是なり。訳出に当りては普く漢英仏独の諸訳を参照せり。予は此の訳註が、完全なる和訳古蘭の出現を促す陳勝呉広たることを以て満足するものなり。
昭和二十四年十二月 大川周明